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HOME » 図書館・研究機関 » 仏教文化研究所 » 法話|第21号 平成21年8月発行 第21号 平成21年8月発行 「真宗からみる「いのち」」 譲 西賢 今年7月13日、参議院本会議で脳死に伴う「臓器移植法」改正案が可決され、「臓器移植法」は改正されました。これによって、1)脳死が人の死である  2)15才満の子どもの移植も可能である 3)ドナー本人の意志確認できなくても、家族の同意で臓器提供できる ということになりました。1年後の 2010年7月から施行されます。賛成された議員の多くは、先進国の多くが、脳死を人の死としているから賛成されたようです。また、子どもも含め移植が受 けられないからと、諸外国へ出かけて移植を受ける日本人があまりに多く、WHOから自粛を求められたことも改正に拍車をかけたようです。 臓器移植しか治療の方法が残されていない人やご家族にとっては、待ちに待った改正です。でも、もし、わが子が脳死状態になった時に、1・2時間のうち に、「どうぞ、心臓や肝臓を取り出してください」と、残された家族が同意できるでしょうか。どちらの立場の方々の気持ちも、とてもよくわかります。でも、 現在、脳死を宣告されいわゆる生命維持装置で生きておられる方々は、死亡扱いされることになるのでしょうか。そもそも「いのち」の生死は、国会議員の投票 で決められることなのでしょうか。 親鸞聖人は、慈悲に人間愛による聖道の慈悲と阿弥陀如来のご本願による浄土の慈悲があるといわれます。聖道の慈悲は「思うが如くたすけ遂ぐることきわめ てありがたし」と、人間愛では、すべてを助けることができないから、浄土の慈悲が届けられ、「大慈大悲心をもって、思うがごとく衆生を利益するをいうべき なり」と、阿弥陀如来のご本願によって、すべての人の心は安らぐことができると表明されています。つまり、「死にたくない」人を永遠に生かし続けることは できません。これが聖道の慈悲、「思うが如くたすけ遂ぐることきわめてありがたし」です。 一方、浄土の慈悲は、いつまでも生き続けることはできない「いのち」と向き合い、その真実を受容し、「明日は、死すべき自分だから、今日のいのちを精一 杯生きよう」という自分に導いてくれます。これが、「大慈大悲心をもって、思うがごとく衆生を利益する」ということです。生きられる時間が延長されても、 「死すべきいのち」の解決にはなりません。だからこそ、生きられる時間の長さではなく、「死すべきいのち」と向き合い、受容して「今日の一日、今・ここで どう生きる」が明らかになるということが、人間をすくうということなのです。 「臓器移植法」は、脳死になったいのちは、どうせ後わずかで死ぬのだから、移植して後何十年も生きられるいのちを救う方が尊いという考え方に基づいてい ます。真宗は、生きられる時間が長くても、「死すべきいのち」と向き合い、受容して「今日の一日、今・ここでどう生きる」が、明らかにならなければ人間に 生まれ人間を生きる意義と喜びにならないと、私たちに教えてくれます。移植しか助かる道はないという病を背負われた方々やご家族にとって、今回の改正は朗 報です。でも、私たち真宗門徒にとって、今回の改正は、「あなたは、死すべきいのちを受容して、今日一日を本当に悔いなく生きていますか」という問いかけ を意味しているのではないでしょうか。死と向き合うからこそ、今日を真剣に、精一杯生きようとするエネルギーが湧き上がってきます。これが、如来さまのご 本願による浄土の慈悲なのです。 カテゴリー 法話 年別アーカイブ 2014&#24180; 2013&#24180; 2012&#24180; 2011&#24180; 2010&#24180; 2009&#24180; 2008&#24180; 2007&#24180; 図書館 地域・社会連携センター 情報教育研究センター 教育実践科学研究センター 経済情報研究所 仏教文化研究所 研究所の紹介 運営委員と研究員 紀要 法話 岐阜聖徳学園大学 岐阜聖徳学園大学短期大学部 岐阜聖徳学園大学高等学校 岐阜聖徳学園大学附属中学校 岐阜聖徳学園大学附属小学校 岐阜聖徳学園大学附属幼稚園 Javascript が有効でない場合、閲覧に影響の無い範囲で一部の機能が無効になります。

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